昼夜逆転を治す方法
2006年7月10日明日は朝早くから仕事があります。
ところが昨日から昼夜逆転してしまい、
夕方頃から「これはまずいぞ…」と思っていました。
僕は昼夜逆転を直すとき、激しめの筋トレをした後、
銭湯に行くことにしてます。
ジムにも行ってみたいっちゃ行ってみたいんだけど、
ジムって行ったことないし、なんかシャレてそうで
な〜んか、僕のガラじゃない気がします(汗)
よーし、サウナでねばっていい汗流したぞ〜。
多分昼夜逆転しないで済みそうです。
ところが昨日から昼夜逆転してしまい、
夕方頃から「これはまずいぞ…」と思っていました。
僕は昼夜逆転を直すとき、激しめの筋トレをした後、
銭湯に行くことにしてます。
ジムにも行ってみたいっちゃ行ってみたいんだけど、
ジムって行ったことないし、なんかシャレてそうで
な〜んか、僕のガラじゃない気がします(汗)
よーし、サウナでねばっていい汗流したぞ〜。
多分昼夜逆転しないで済みそうです。
ワーカホリック・マゾヒスト
2006年7月10日大学2年の夏から秋にかけ、
いよいよ大学を放棄し出した頃でした。
その頃、受験勉強とバイトしかしてなかったと思います。
その頃、なぜか、自分へのふがいなさ、
情けなさを異様に感じてしまって
どうしようもないくらい自分を苛め抜きたくなり、
バイトのシフトをメチャクチャ入れてくれるよう
店長にお願いしていました。
んーと、夏休みが重なっていましたし。
その結果1ヶ月の労働時間が
大学生のバイトなのに200時間くらいまでいき、
その数ヶ月だけでものすごい稼いだと思います。
朝10時から夜10時までバイトしてました。
バイトが終わってから、寝るまで
4時間くらい、家や、遅くまでやっている
モスバーガーやガストなどで
受験勉強してました。 当時平均睡眠時間1日4時間。
今思えば、こんな生活してて
よく死ななかったな、と思います。
今から思えば、当時の僕は何を考えていたんでしょうか。
当時の僕は目つきは完全に逝ってしまっていました。
そんなアホなことをかれこれ4ヶ月。
今じゃ、そんなアホなこと出来ないなあ(汗)
いよいよ大学を放棄し出した頃でした。
その頃、受験勉強とバイトしかしてなかったと思います。
その頃、なぜか、自分へのふがいなさ、
情けなさを異様に感じてしまって
どうしようもないくらい自分を苛め抜きたくなり、
バイトのシフトをメチャクチャ入れてくれるよう
店長にお願いしていました。
んーと、夏休みが重なっていましたし。
その結果1ヶ月の労働時間が
大学生のバイトなのに200時間くらいまでいき、
その数ヶ月だけでものすごい稼いだと思います。
朝10時から夜10時までバイトしてました。
バイトが終わってから、寝るまで
4時間くらい、家や、遅くまでやっている
モスバーガーやガストなどで
受験勉強してました。 当時平均睡眠時間1日4時間。
今思えば、こんな生活してて
よく死ななかったな、と思います。
今から思えば、当時の僕は何を考えていたんでしょうか。
当時の僕は目つきは完全に逝ってしまっていました。
そんなアホなことをかれこれ4ヶ月。
今じゃ、そんなアホなこと出来ないなあ(汗)
教授の呼び出し
2006年7月9日大学4年になったばかりの頃、
ゼミの教授に呼び出されたことがあります。
その理由はいわずもがな、成績不振によるもの。
大学4年になったばかりの頃、僕は
卒業見込みが出ていなくて、そのせいで
教授に呼び出しを受けました。
「君は一体これまでの3年間何をしていたんだ!?」
教授は、すごい張り詰めた表情で問い詰めてきました。
「他大学へ行くための受験勉強とそのための資金を
稼ぐバイトをたくさんしていました。だから、
大学の勉強がおろそかになって成績が悪かったのです」
などとは死んでも言えませんでした。
僕の先輩も成績不振で呼び出されていました。
その人は、教授に
「君は一体何のために大学に来てるの?」
と訊かれ
「大学に来れば、サークルの友達や後輩に会えて、
お話がたくさんできます。小さなことかもしれませんが、
わたしにとってはそれは大きな原動力なんです。」
と言ったら、
「ちっぽけな理由だね。くだらなすぎる…」
と、教授に返されてしまったようです。
この先輩と仲の良い、友達や後輩なら
先輩がこのように言っても、きっと納得してくれる。
僕も納得すると思う。
でもね、大学の教員と生徒では、
視点や立場がまったく違うんです。
実は僕の父は大学の教員なのです。
ところで、仮面浪人していたことは、両親にも内緒で
合格した時にカミングアウトするつもりでいました。
話を元に戻すと、僕の父親が大学教員ということで
大学の教員の視点も多少、わかっていました。
大学の教授というひとたちは、
生徒を相手にする授業を嫌がる人が結構いるらしいです。
本当ならば、自分の研究を最優先してやりたいのに
その時間をわざわざ割いて、
生徒を相手に授業をしている人が大半なのです。
それなのに、授業をまともに受けず、成績の悪い生徒がいたら
教授としては面白くなく思っても無理はないですよね。
それに、いかに大学教授とはいえ、仮面浪人のことも
自分で経験しないことには、多分
分かることはできないだろうと思います。なので
「これからは心を入れ替えて真面目に大学の勉強をします」
と必死で謝罪するしか僕には思いつかなかった。
教授の納得するとおりに
「僕は不真面目な生徒でした。過去の教訓を生かして
今学期に生かします」
と弁明するしか、その場をしのぐ方法はないと思い、
その通りに弁明しました。
ようやく教授も納得してくれて、僕は釈放されました。
もし
「仮面浪人していた」とカミングアウトしていたら
「君はそんなつもりで今まで大学に来ていたのか…!」
と教授の逆鱗に触れていたことでしょう。
ゼミの教授に呼び出されたことがあります。
その理由はいわずもがな、成績不振によるもの。
大学4年になったばかりの頃、僕は
卒業見込みが出ていなくて、そのせいで
教授に呼び出しを受けました。
「君は一体これまでの3年間何をしていたんだ!?」
教授は、すごい張り詰めた表情で問い詰めてきました。
「他大学へ行くための受験勉強とそのための資金を
稼ぐバイトをたくさんしていました。だから、
大学の勉強がおろそかになって成績が悪かったのです」
などとは死んでも言えませんでした。
僕の先輩も成績不振で呼び出されていました。
その人は、教授に
「君は一体何のために大学に来てるの?」
と訊かれ
「大学に来れば、サークルの友達や後輩に会えて、
お話がたくさんできます。小さなことかもしれませんが、
わたしにとってはそれは大きな原動力なんです。」
と言ったら、
「ちっぽけな理由だね。くだらなすぎる…」
と、教授に返されてしまったようです。
この先輩と仲の良い、友達や後輩なら
先輩がこのように言っても、きっと納得してくれる。
僕も納得すると思う。
でもね、大学の教員と生徒では、
視点や立場がまったく違うんです。
実は僕の父は大学の教員なのです。
ところで、仮面浪人していたことは、両親にも内緒で
合格した時にカミングアウトするつもりでいました。
話を元に戻すと、僕の父親が大学教員ということで
大学の教員の視点も多少、わかっていました。
大学の教授というひとたちは、
生徒を相手にする授業を嫌がる人が結構いるらしいです。
本当ならば、自分の研究を最優先してやりたいのに
その時間をわざわざ割いて、
生徒を相手に授業をしている人が大半なのです。
それなのに、授業をまともに受けず、成績の悪い生徒がいたら
教授としては面白くなく思っても無理はないですよね。
それに、いかに大学教授とはいえ、仮面浪人のことも
自分で経験しないことには、多分
分かることはできないだろうと思います。なので
「これからは心を入れ替えて真面目に大学の勉強をします」
と必死で謝罪するしか僕には思いつかなかった。
教授の納得するとおりに
「僕は不真面目な生徒でした。過去の教訓を生かして
今学期に生かします」
と弁明するしか、その場をしのぐ方法はないと思い、
その通りに弁明しました。
ようやく教授も納得してくれて、僕は釈放されました。
もし
「仮面浪人していた」とカミングアウトしていたら
「君はそんなつもりで今まで大学に来ていたのか…!」
と教授の逆鱗に触れていたことでしょう。
仮面浪人の時の勝算
2006年7月8日勝算は、全くなかったわけではなかったと思います。
もしも全く勝算がなかったら
仮面浪人なんてことやってなかったと思います。
ただバイトもしなければいけない
「仮面浪人」という過酷な状況を考えると
勝算は50%というところだったと思います。
それくらい仮面は気力と体力を必要としました。
仮面浪人してなかった頃の自分がどれだけ甘かったかを
仮面してから気づくことになりました。
第一志望は金をかけられないので国立。
なので5教科7科目という相当な負担度の中
勉強を続けました。
文系は英語が生命線となるので、
他分野にわたり勉強を拡大してかなり力を注ぎました。
記述模試で最大で160点くらいまでいきました。
微々たる程度ですが、洋楽や洋画が好きだったので
その影響も多少あったかと思います。
国語も途中からそれなりに
楽しく勉強できるようになりました。
それでも試験を解いていて難しく感じる科目だとは思いました。
古文を放置していると、国語全体が低迷するみたいですね。
世界史は僕の一番好きな科目でした。
最後の最後まで、伸び続け勉強していて
楽しく勉強できた科目でした。
一番得意な科目でした。
数学は底抜けに悪い科目でした。
同じ理系科目でも、理科とは使う頭や能力がまた、
違うようです。理科はセンター試験だけで
必要だったんですが、8割いけました。
数学で8割なんてとてもとても…(汗)
これらももちろん数年前の話であり、
しばらく受験勉強なんて本腰をいれてないですから
気合入れてやり直さないと、
以前のレベルにまで戻らないでしょう。
ただ、今から始めるとしたら
大学に妨害されないで受験勉強はできるわけですから
その状態で、受験勉強をやったらはたして
どれくれいまでいけるだろう?と考えることはあります。
大学に通いながら、よくあれだけ
受験勉強して貯金もしたなあ、と我ながら
過去の自分に感心することはあります。
仮面を2年以上続けていたので、
貯金額もバイトしまくった結果、とことん切り詰めて
7ケタ行きましたが、卒業するまでに
大学で生き延びるため全て使い果たしてしまいました…(死)
余談ですが、僕の4年での大学卒業は、
ぶっちゃけてしまうと仮面受験の
成功率より低いものでした…(死)が
それでも奇跡が起こり卒業できました。
大学のほうの単位は、それだけ酷かったのです。
それだけ大学4年の時は、仮面浪人をしていた時
の勢いで大学の勉強を頑張ったつもりでした。
仮面浪人という前科を知らない人たちからは
「お前が大学を4年で卒業するなんて絶対無理」
と馬鹿にされていました。こんな状態から
僕と同じ状態で就活までして内定を決めるなんて
常人では無理かと思います。さすがの僕も
とてもとても、そこまではできませんでしたw
大学院を志望したとしても、大学4年夏の時点では
成績証明書の悪さから、落とされていたでしょう。
僕は、大学4年後期で50単位程度を取り卒業できたのです。
もしも全く勝算がなかったら
仮面浪人なんてことやってなかったと思います。
ただバイトもしなければいけない
「仮面浪人」という過酷な状況を考えると
勝算は50%というところだったと思います。
それくらい仮面は気力と体力を必要としました。
仮面浪人してなかった頃の自分がどれだけ甘かったかを
仮面してから気づくことになりました。
第一志望は金をかけられないので国立。
なので5教科7科目という相当な負担度の中
勉強を続けました。
文系は英語が生命線となるので、
他分野にわたり勉強を拡大してかなり力を注ぎました。
記述模試で最大で160点くらいまでいきました。
微々たる程度ですが、洋楽や洋画が好きだったので
その影響も多少あったかと思います。
国語も途中からそれなりに
楽しく勉強できるようになりました。
それでも試験を解いていて難しく感じる科目だとは思いました。
古文を放置していると、国語全体が低迷するみたいですね。
世界史は僕の一番好きな科目でした。
最後の最後まで、伸び続け勉強していて
楽しく勉強できた科目でした。
一番得意な科目でした。
数学は底抜けに悪い科目でした。
同じ理系科目でも、理科とは使う頭や能力がまた、
違うようです。理科はセンター試験だけで
必要だったんですが、8割いけました。
数学で8割なんてとてもとても…(汗)
これらももちろん数年前の話であり、
しばらく受験勉強なんて本腰をいれてないですから
気合入れてやり直さないと、
以前のレベルにまで戻らないでしょう。
ただ、今から始めるとしたら
大学に妨害されないで受験勉強はできるわけですから
その状態で、受験勉強をやったらはたして
どれくれいまでいけるだろう?と考えることはあります。
大学に通いながら、よくあれだけ
受験勉強して貯金もしたなあ、と我ながら
過去の自分に感心することはあります。
仮面を2年以上続けていたので、
貯金額もバイトしまくった結果、とことん切り詰めて
7ケタ行きましたが、卒業するまでに
大学で生き延びるため全て使い果たしてしまいました…(死)
余談ですが、僕の4年での大学卒業は、
ぶっちゃけてしまうと仮面受験の
成功率より低いものでした…(死)が
それでも奇跡が起こり卒業できました。
大学のほうの単位は、それだけ酷かったのです。
それだけ大学4年の時は、仮面浪人をしていた時
の勢いで大学の勉強を頑張ったつもりでした。
仮面浪人という前科を知らない人たちからは
「お前が大学を4年で卒業するなんて絶対無理」
と馬鹿にされていました。こんな状態から
僕と同じ状態で就活までして内定を決めるなんて
常人では無理かと思います。さすがの僕も
とてもとても、そこまではできませんでしたw
大学院を志望したとしても、大学4年夏の時点では
成績証明書の悪さから、落とされていたでしょう。
僕は、大学4年後期で50単位程度を取り卒業できたのです。
同い年は付き合いにくい?
2006年7月7日同い年で付きあうって、
実は疲れるのかもしれません。
どこかで張り合ってる感じがするんでしょうか。
大体似たような問題に直面したり、
同じようなことを考えたり、
調子狂うとこはあるんだと思います。
こういうのって、疲れてしまうんでしょうね。
同い年のカップル、僕の身近にも
ちらほらといましたが同い年でない
カップルとはまた違った「何か」を
感じ取っているような気が、僕自身しました。
気のせいかもしれませんが(汗)
で、僕も大学3年の時、
同い年の人に片想いしたことがありました。
告白しました…が振られてしまい、
付き合うことは出来ませんでしたが…。
ってことで友達止まりでした。でも
その人を見ていると、
ある意味で自分を見ているようでした。
好きだったんだけど、どこかでその人に疲れていたんです。
あ、その女性は仮面浪人なんてことするわけないですよ(笑)
今にして思えば、付き合えなくて残念なような、
それでよかったような…。
なんともいえない感じです。
好きだったことのある異性、でも付き合えなかった異性
に対しては、こういう気持ちになるのかもしれません。
心のどこかでは、その人のことも残ってはいるのでしょう。。
うまく言えないけど、何かが「残る」んです。
こういう表現でしか言い表せないですが…そうなんですよね。
実は疲れるのかもしれません。
どこかで張り合ってる感じがするんでしょうか。
大体似たような問題に直面したり、
同じようなことを考えたり、
調子狂うとこはあるんだと思います。
こういうのって、疲れてしまうんでしょうね。
同い年のカップル、僕の身近にも
ちらほらといましたが同い年でない
カップルとはまた違った「何か」を
感じ取っているような気が、僕自身しました。
気のせいかもしれませんが(汗)
で、僕も大学3年の時、
同い年の人に片想いしたことがありました。
告白しました…が振られてしまい、
付き合うことは出来ませんでしたが…。
ってことで友達止まりでした。でも
その人を見ていると、
ある意味で自分を見ているようでした。
好きだったんだけど、どこかでその人に疲れていたんです。
あ、その女性は仮面浪人なんてことするわけないですよ(笑)
今にして思えば、付き合えなくて残念なような、
それでよかったような…。
なんともいえない感じです。
好きだったことのある異性、でも付き合えなかった異性
に対しては、こういう気持ちになるのかもしれません。
心のどこかでは、その人のことも残ってはいるのでしょう。。
うまく言えないけど、何かが「残る」んです。
こういう表現でしか言い表せないですが…そうなんですよね。
とある秋夜の日
2006年7月6日もう今から4年近くも前のことだったかと思います。
当時、僕は大学1年でした。
大学1年は上京して1年目、仮面浪人1年目
ということもあり、過酷な年でした。
大学1年生のとある日、
家庭教師の仕事をしていました。
ところで、家庭教師は、仮面浪人には一番、
適している仕事だと思います。
その大学1年の頃のとある秋の日、
家庭教師の仕事を終えて、
当時住んでいた沿線沿いのファーストフードで
くつろいでいました。夜遅い時間だったので、
お客は、僕と1人の女性だけ。2階のフロアーです。
くつろいでしばらくしていると、
その女性の様子が少し変なことに気が付きました。
数学の参考書を開いたまますすり泣いています。
見た感じ、当時の僕より年上に見える人です。
さては…
と思って、話しかけてみました。
すると意外なことに返事を返してくれました。
その人は、医学部を受験するために大学を辞めた人でした。
そのことが分かると、僕も当時の自分の状態を話しました。
リアルで医学部を再受験する人に出くわしたのは
このときが初めてでした。
「せっかく大学に入ったのに嫌だからと言って、
辞めてはいけないよ。
辞めたら絶対後で後悔することになるよ。
私は大学を辞めてすごく後悔しているよ!?
大学を辞めていなければ、私は今頃は卒業していた。
大学を辞めてみたものの医学部は到底通りそうにない。
大学に残っていれば、今頃、
違うことを考えていたかもしれない。」
その人は一時的な勢いで
大学を辞めたことをすごく後悔していました。
大学を辞めたかった、という気持ち、
それだけはよくわかりました。
その女性とはそれっきり。
当時は、僕自身も相当に荒みきっていて、
その人とある程度でも関わってみようという
気持ちすら起こらなかったのです。
さらに、その女性の言葉の全ての意味を当時の僕は、
理解することができませんでした。
それだけ未熟だったのです。
でもその言葉を忘れることもありませんでした。
たまにですが、その女性の言葉を
思い出すことが何度かありました。
その女性の一言で、大学退学を思いとどまったことは
実は何度かあったのです。
しかし、あまりにも未熟だった僕は
その女性の言葉を理解するのに
思い出すことはあったとはいえ、
1度や2度では足りませんでした。
何度も何度も思い出し、
その都度理解していったんだと思います。
卒業してからも、その女性の言葉が鮮明に思い出されます。
卒業もした今、その女性の言葉を
当時よりは分かったかな、という気がします。
これはあくまで僕の例ですが、
大学を辞める、というのは、
職場で仕事を辞めるということとは、どうやら別物のようです。たとえすごく嫌に思えることでも、ケジメをつけるために
努力してみることの大切さを分かった気がします。
でないと後で、もっと嫌な目にあって
苦しむことになるかもしれない。そんなことを思いました。
仮面浪人をしていた頃、ものすごく色んなことを
たくさん考えていました。
発狂しそうなくらいに色々と考えていました。
さっきまでの話はその頃の特に印象的な話
であって、それだけ僕の中に強く残ったのです。
当時、僕は大学1年でした。
大学1年は上京して1年目、仮面浪人1年目
ということもあり、過酷な年でした。
大学1年生のとある日、
家庭教師の仕事をしていました。
ところで、家庭教師は、仮面浪人には一番、
適している仕事だと思います。
その大学1年の頃のとある秋の日、
家庭教師の仕事を終えて、
当時住んでいた沿線沿いのファーストフードで
くつろいでいました。夜遅い時間だったので、
お客は、僕と1人の女性だけ。2階のフロアーです。
くつろいでしばらくしていると、
その女性の様子が少し変なことに気が付きました。
数学の参考書を開いたまますすり泣いています。
見た感じ、当時の僕より年上に見える人です。
さては…
と思って、話しかけてみました。
すると意外なことに返事を返してくれました。
その人は、医学部を受験するために大学を辞めた人でした。
そのことが分かると、僕も当時の自分の状態を話しました。
リアルで医学部を再受験する人に出くわしたのは
このときが初めてでした。
「せっかく大学に入ったのに嫌だからと言って、
辞めてはいけないよ。
辞めたら絶対後で後悔することになるよ。
私は大学を辞めてすごく後悔しているよ!?
大学を辞めていなければ、私は今頃は卒業していた。
大学を辞めてみたものの医学部は到底通りそうにない。
大学に残っていれば、今頃、
違うことを考えていたかもしれない。」
その人は一時的な勢いで
大学を辞めたことをすごく後悔していました。
大学を辞めたかった、という気持ち、
それだけはよくわかりました。
その女性とはそれっきり。
当時は、僕自身も相当に荒みきっていて、
その人とある程度でも関わってみようという
気持ちすら起こらなかったのです。
さらに、その女性の言葉の全ての意味を当時の僕は、
理解することができませんでした。
それだけ未熟だったのです。
でもその言葉を忘れることもありませんでした。
たまにですが、その女性の言葉を
思い出すことが何度かありました。
その女性の一言で、大学退学を思いとどまったことは
実は何度かあったのです。
しかし、あまりにも未熟だった僕は
その女性の言葉を理解するのに
思い出すことはあったとはいえ、
1度や2度では足りませんでした。
何度も何度も思い出し、
その都度理解していったんだと思います。
卒業してからも、その女性の言葉が鮮明に思い出されます。
卒業もした今、その女性の言葉を
当時よりは分かったかな、という気がします。
これはあくまで僕の例ですが、
大学を辞める、というのは、
職場で仕事を辞めるということとは、どうやら別物のようです。たとえすごく嫌に思えることでも、ケジメをつけるために
努力してみることの大切さを分かった気がします。
でないと後で、もっと嫌な目にあって
苦しむことになるかもしれない。そんなことを思いました。
仮面浪人をしていた頃、ものすごく色んなことを
たくさん考えていました。
発狂しそうなくらいに色々と考えていました。
さっきまでの話はその頃の特に印象的な話
であって、それだけ僕の中に強く残ったのです。
家族関係の難しさ
2006年7月5日言いたいことがはっきり言い合える家族って
実は、理想的な家族なのかなって思います。
僕の家族の場合、そういう家庭ではありませんでした。
僕の家族の場合だと、両親は、祖母に
気を遣いすぎて、祖母が間違ったことや
道理に合わないことをしても、
何も言えなくなってしまっていました。
なぜ両親は祖母にそのような態度を
取ってしまうようになったのでしょうか。
それは、父と父の母(つまり祖母)の関係が
気を遣いあう他人のような関係だったからなのです。
父も実母に対して、すごく気を遣う関係だったのです。
つまり、親子なのに、自然な関係でいることが
ままならなかったのです。
そのせいで、母も父にあわせざるを得なくなった。
次に、祖母が、たくさんの財産を独り占めして、
祖母自身がそのことを利用して、
祖母自身から見た下の家族を、いいように振り回していた。
その結果、祖母は傲慢な人間になってしまいました。
「家族で自分に逆らえる人間はいない」と考え、
横暴の限りを尽くしていました。
祖父がなくなってからは特にその傾向は酷くなっていきました。
小さな頃から、そういう風景をみてきて、
小さい頃はそういう複雑に入り組んだことが
まるで分かりませんでしたが
物事がある程度わかる頃になってから、そういうことは
じつはすごく不健全なことだと思いはじめるようになりました。
家族内が自然な家族関係を営んでいなくて
利害関係に振り回される家族の状況をみているのは
すごく嫌なものです。僕自身は家族内の
こういった問題をどうにかする力はありません。
ただ見ているしかなかった。
家族であるからこそ、こういうことは辛いのです。
そういったことで苦しむ家族がいたら、
出来る限り、解決するための力になれれば、
と思ったことが法律関係を目指すきっかけの
1つにもなった部分はあると思います。
家族は助け合って生きていくべきだと思うのです。
家族の誰か1人だけが自分の権利を主張しつづけ、
家族としてのやるべきことを放棄しているなんてことは
あってはならないことだと思います。
家族関係、すごく難しいですよね…
ややこしい話ですいませんでした…
実は、理想的な家族なのかなって思います。
僕の家族の場合、そういう家庭ではありませんでした。
僕の家族の場合だと、両親は、祖母に
気を遣いすぎて、祖母が間違ったことや
道理に合わないことをしても、
何も言えなくなってしまっていました。
なぜ両親は祖母にそのような態度を
取ってしまうようになったのでしょうか。
それは、父と父の母(つまり祖母)の関係が
気を遣いあう他人のような関係だったからなのです。
父も実母に対して、すごく気を遣う関係だったのです。
つまり、親子なのに、自然な関係でいることが
ままならなかったのです。
そのせいで、母も父にあわせざるを得なくなった。
次に、祖母が、たくさんの財産を独り占めして、
祖母自身がそのことを利用して、
祖母自身から見た下の家族を、いいように振り回していた。
その結果、祖母は傲慢な人間になってしまいました。
「家族で自分に逆らえる人間はいない」と考え、
横暴の限りを尽くしていました。
祖父がなくなってからは特にその傾向は酷くなっていきました。
小さな頃から、そういう風景をみてきて、
小さい頃はそういう複雑に入り組んだことが
まるで分かりませんでしたが
物事がある程度わかる頃になってから、そういうことは
じつはすごく不健全なことだと思いはじめるようになりました。
家族内が自然な家族関係を営んでいなくて
利害関係に振り回される家族の状況をみているのは
すごく嫌なものです。僕自身は家族内の
こういった問題をどうにかする力はありません。
ただ見ているしかなかった。
家族であるからこそ、こういうことは辛いのです。
そういったことで苦しむ家族がいたら、
出来る限り、解決するための力になれれば、
と思ったことが法律関係を目指すきっかけの
1つにもなった部分はあると思います。
家族は助け合って生きていくべきだと思うのです。
家族の誰か1人だけが自分の権利を主張しつづけ、
家族としてのやるべきことを放棄しているなんてことは
あってはならないことだと思います。
家族関係、すごく難しいですよね…
ややこしい話ですいませんでした…
再受験に臨む人たち
2006年7月4日仮面浪人などを経験すると「再受験に臨む人たち」
のことも決してひとごとではないものに思えてきます。
僕もこれから受験に臨むことがあれば、
純粋な再受験生になりますし。
仮面浪人や、社会人の身で受験に望むということは
普通、一本に集中することを、
2本、3本と平行させていくことであって
それを仮面浪人を経験して身をもって体験したため、
その恐ろしさはよくわかります。
「再受験に臨む人たち」
これも、本当に人それぞれだと思いますが、
普通、そういうことをする人ってあんまりいないでしょうし
僕自身も仮面浪人を経験したため、
「すごく思い入れが強いんだな」とういことはわかります。
僕自身としては、再受験生こそ、明確な目標や動機があって、
再受験をしてまでそれを達成しようとしているのだから
ぜひとも成就させてほしい、と思います。
逆境にめげず頑張ってほしいな、と思います。
のことも決してひとごとではないものに思えてきます。
僕もこれから受験に臨むことがあれば、
純粋な再受験生になりますし。
仮面浪人や、社会人の身で受験に望むということは
普通、一本に集中することを、
2本、3本と平行させていくことであって
それを仮面浪人を経験して身をもって体験したため、
その恐ろしさはよくわかります。
「再受験に臨む人たち」
これも、本当に人それぞれだと思いますが、
普通、そういうことをする人ってあんまりいないでしょうし
僕自身も仮面浪人を経験したため、
「すごく思い入れが強いんだな」とういことはわかります。
僕自身としては、再受験生こそ、明確な目標や動機があって、
再受験をしてまでそれを達成しようとしているのだから
ぜひとも成就させてほしい、と思います。
逆境にめげず頑張ってほしいな、と思います。
すごく有意義なこともあった。
2006年7月3日仮面浪人が大半を占めたものの、
卒業した大学では、素晴らしい経験もたくさんしました。
一生の仲間にも出会えました。
もしも自分の大学生活が、4年間ともすべて
仮面浪人で埋め尽くされていたら、
こういった経験や出会いもなかったことだろうと思う。
確かに大学の勉強などでも、当時は嫌々やりながらも、
色々なことを覚えれたし、終わってみれば、有意義だったかな
と思える部分はたくさんあったと思います。
それでも「仮面浪人の度重なる失敗のダメージ」
というものは、付きまとって離れようとしなかった。
単位を取れていない人たちからは、「遊んでいたのか?」
というようにしか見られないわけです。
「かといって仮面浪人をしていたからだ」
などと、簡単に言うことはできないのです。
このどうしようもないジレンマに
駆られたことも、何度もありました。
そういった意味では孤独を感じたことはありました。
卒業した大学では、素晴らしい経験もたくさんしました。
一生の仲間にも出会えました。
もしも自分の大学生活が、4年間ともすべて
仮面浪人で埋め尽くされていたら、
こういった経験や出会いもなかったことだろうと思う。
確かに大学の勉強などでも、当時は嫌々やりながらも、
色々なことを覚えれたし、終わってみれば、有意義だったかな
と思える部分はたくさんあったと思います。
それでも「仮面浪人の度重なる失敗のダメージ」
というものは、付きまとって離れようとしなかった。
単位を取れていない人たちからは、「遊んでいたのか?」
というようにしか見られないわけです。
「かといって仮面浪人をしていたからだ」
などと、簡単に言うことはできないのです。
このどうしようもないジレンマに
駆られたことも、何度もありました。
そういった意味では孤独を感じたことはありました。
僕の仮面浪人時代
2006年7月2日僕は大学生活4年のうち、およそ2年半もの間、
仮面浪人として過ごしました。
仮面浪人にいたった経緯は簡単に書ききることはできないので
少しづつ機会のあるときに書いていければ、と思います。
仮面浪人、それは想像以上の過酷さでした。
大学で友達はできないわ、単位は取れないわ、
資金を用意するのに
たくさんバイトをしなければいけないわで、
もう本当に死にそうな毎日を送っていました。
今思っても大学を4年で
卒業できたのが信じられないくらいです。
大学4年の時、仮面浪人をしてはいなかったものの、
最初の2年半の仮面浪人と資金稼ぎの大量のバイトが祟り、
単位をまるで取れておらず、さらに
卒論も書かなければいけなかったため、
再び仮面してるのと変わらない状態になってしまいました。
仮面がことごとく失敗し、卒論を書きながら
「なんでオレはこんなことしてるんだよ…」
と何度も何度も思っていたことが
今でもよく思い出されます。
僕は医学部を目指していた、とかではありません。
文系の学生でした。法律関係の仕事につきたいと
思っていましたが、明らかにそういったこと
を目指せるような学部や環境ではなかったし
僕自身の本当の学力とはやはり
かけ離れていた環境だったのです。
それを不本意に思ったこともありました。
当時、先のこともよくわからず、甘い憶測のもと
安易な気持ちで自分で自分の進路を選んでしまったのです。
仮面浪人として過ごしました。
仮面浪人にいたった経緯は簡単に書ききることはできないので
少しづつ機会のあるときに書いていければ、と思います。
仮面浪人、それは想像以上の過酷さでした。
大学で友達はできないわ、単位は取れないわ、
資金を用意するのに
たくさんバイトをしなければいけないわで、
もう本当に死にそうな毎日を送っていました。
今思っても大学を4年で
卒業できたのが信じられないくらいです。
大学4年の時、仮面浪人をしてはいなかったものの、
最初の2年半の仮面浪人と資金稼ぎの大量のバイトが祟り、
単位をまるで取れておらず、さらに
卒論も書かなければいけなかったため、
再び仮面してるのと変わらない状態になってしまいました。
仮面がことごとく失敗し、卒論を書きながら
「なんでオレはこんなことしてるんだよ…」
と何度も何度も思っていたことが
今でもよく思い出されます。
僕は医学部を目指していた、とかではありません。
文系の学生でした。法律関係の仕事につきたいと
思っていましたが、明らかにそういったこと
を目指せるような学部や環境ではなかったし
僕自身の本当の学力とはやはり
かけ離れていた環境だったのです。
それを不本意に思ったこともありました。
当時、先のこともよくわからず、甘い憶測のもと
安易な気持ちで自分で自分の進路を選んでしまったのです。
はじめまして。
仮面浪人が大学生活の大半を占めたものの、
なんとかかんとか大学を、2006年3月をもって、
4年で卒業したものです。
大学時代の仮面浪人が祟った結果、明確な進路も定まらず
どこか煮えきれない日々を過ごしています。
現在、家族の持ち家に1人暮らし。
家庭教師その他のバイトなどをやりつつ、
なんとか過ごしています。
熾烈な大学時代よりも、今は大分
色々と考えるゆとりもできたかなと思います。
自己分析なども兼ねて、いつまで続くかわかりませんが
日記をつけてみることにしました。
仮面浪人時代のこと、その他さまざまな経緯などを
書いていこうと思います。どうかよろしくお願いします。
仮面浪人が大学生活の大半を占めたものの、
なんとかかんとか大学を、2006年3月をもって、
4年で卒業したものです。
大学時代の仮面浪人が祟った結果、明確な進路も定まらず
どこか煮えきれない日々を過ごしています。
現在、家族の持ち家に1人暮らし。
家庭教師その他のバイトなどをやりつつ、
なんとか過ごしています。
熾烈な大学時代よりも、今は大分
色々と考えるゆとりもできたかなと思います。
自己分析なども兼ねて、いつまで続くかわかりませんが
日記をつけてみることにしました。
仮面浪人時代のこと、その他さまざまな経緯などを
書いていこうと思います。どうかよろしくお願いします。