卒業論文
2006年7月14日家庭教師で英語と古文を教えることがあります。
…と、いうことは、僕も自分でそれなりに
勉強しないといけないのです。
とはいっても仮面してた頃よりは大分、
ちんたらとした勉強ですが。
それに以前の力には到底追いついていないでしょう。
…とはいうものの、それも本当は
よくわからないんですよね。
理由は後ほど。
確かに受験勉強なんて、
大学3年の途中からやっていません。
その代わり、卒論作業が始まり卒論を
書かなくてはいけなくなりました。
仮面を続け、標準的大学生よりも、
大学生としての能力が著しく欠如した僕が
卒論を書くのは、それはそれは大変だったのですよ。
それだけでなく、大学4年になってから、
再再再履修、再々履修 再履修、
まるで取っていない般教の単位も取りつつ、
教授のイビリの嵐が吹き荒れる中、
バイトもやりつつ、バンド活動なんてもやりつつ
そんな中、卒論作業のほうも続けました。
卒論に関しては、なかなか厳しくて
50000字は必要だとか、駄目だったら容赦なく不可にする
とか言われていたんで、なかなかプレッシャーでしたよ(^^
なんていうか、卒論の作業を通して
ワード、エクセルの類が異常に使いこなせるように
なりましたし、それよりも卒論の書き方、
やりかた云々よりも、根性を学んだ気がします。
文系の卒論ですから、ひたすら
文章を書いていくばかりです。
でも卒論作業をやって思ったのは
卒論を書くって潜在的に学力も
上げてくれそうだってことです。
卒論を書くにはひたすら
本を読まなくてはいけない。
結果的に、色んな知識が蓄えられる。
その一冊一冊が、分厚くて、内容も簡単でない。
それを毎日毎日こなす。
卒論って、確実に受験的要素を備えています。
読書量もさることながら
読書によって蓄えられた知識、
筋道立てて文章を書くという卒論の執筆は
英語や国語の力の向上におおいに貢献してくれそうです。
もちろん、本業の受験生がすることではないですけどね(笑)
そんなことしてたら、落ちますよ(汗)
大学4年は卒論、就活、人によっては進学の準備など
とにかく忙しい年となります。
僕の場合、卒論と仮面で落とした単位を取るので
忙しかったわけですが(汗)
そういう理由もあって、自分の学力は
単純に落ちているのかどうか、わかりかねるんですよね。
単純な受験的知識は、そりゃ忘れてるとこは多いんですが(笑)
…と、いうことは、僕も自分でそれなりに
勉強しないといけないのです。
とはいっても仮面してた頃よりは大分、
ちんたらとした勉強ですが。
それに以前の力には到底追いついていないでしょう。
…とはいうものの、それも本当は
よくわからないんですよね。
理由は後ほど。
確かに受験勉強なんて、
大学3年の途中からやっていません。
その代わり、卒論作業が始まり卒論を
書かなくてはいけなくなりました。
仮面を続け、標準的大学生よりも、
大学生としての能力が著しく欠如した僕が
卒論を書くのは、それはそれは大変だったのですよ。
それだけでなく、大学4年になってから、
再再再履修、再々履修 再履修、
まるで取っていない般教の単位も取りつつ、
教授のイビリの嵐が吹き荒れる中、
バイトもやりつつ、バンド活動なんてもやりつつ
そんな中、卒論作業のほうも続けました。
卒論に関しては、なかなか厳しくて
50000字は必要だとか、駄目だったら容赦なく不可にする
とか言われていたんで、なかなかプレッシャーでしたよ(^^
なんていうか、卒論の作業を通して
ワード、エクセルの類が異常に使いこなせるように
なりましたし、それよりも卒論の書き方、
やりかた云々よりも、根性を学んだ気がします。
文系の卒論ですから、ひたすら
文章を書いていくばかりです。
でも卒論作業をやって思ったのは
卒論を書くって潜在的に学力も
上げてくれそうだってことです。
卒論を書くにはひたすら
本を読まなくてはいけない。
結果的に、色んな知識が蓄えられる。
その一冊一冊が、分厚くて、内容も簡単でない。
それを毎日毎日こなす。
卒論って、確実に受験的要素を備えています。
読書量もさることながら
読書によって蓄えられた知識、
筋道立てて文章を書くという卒論の執筆は
英語や国語の力の向上におおいに貢献してくれそうです。
もちろん、本業の受験生がすることではないですけどね(笑)
そんなことしてたら、落ちますよ(汗)
大学4年は卒論、就活、人によっては進学の準備など
とにかく忙しい年となります。
僕の場合、卒論と仮面で落とした単位を取るので
忙しかったわけですが(汗)
そういう理由もあって、自分の学力は
単純に落ちているのかどうか、わかりかねるんですよね。
単純な受験的知識は、そりゃ忘れてるとこは多いんですが(笑)
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